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5~7世紀頃の紀伊半島西部のレイライン・結界について、 歴史地理的一考察
https://hagoromo.repo.nii.ac.jp/records/2000007
https://hagoromo.repo.nii.ac.jp/records/2000007a3f3e337-e098-45c1-8af5-72254d7dde71
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||||||
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公開日 | 2024-05-08 | |||||||||||
タイトル | ||||||||||||
タイトル | 5~7世紀頃の紀伊半島西部のレイライン・結界について、 歴史地理的一考察 | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
言語 | ||||||||||||
言語 | jpn | |||||||||||
資源タイプ | ||||||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||||||
著者 |
今井, 俊夫
× 今井, 俊夫
× Imai, Toshio
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抄録 | ||||||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||||||
内容記述 | 5~7世紀頃のヤマト政権の外港である古代和歌山の紀きのみなと伊水門には南北方向に軸線(以下、「南北レイライン」という。)が存在する。その南端の起点、濱宮から南進すると有田川、日高川を越え、御坊市名田町の野島(蜂山)を通り太平洋に至る。レイライン上にある御坊市熊い野やの熊い野や山は、日本書紀にイザナミ(伊弉諾神)の墓所と記された三重県熊野市の「花の窟神社」と紀伊日ノ御埼を結ぶ軸線(東西レイライン)との交点にあたる(図6参照)。 濱宮から真西へ紀伊水道を横断すると国産み神話の「おのころ島」に比定される沼島(兵庫県みなみ淡路市)にあたる。また、野島(蜂山)から真西へ紀伊水道を横断すると四国最東端蒲生田岬の先にある伊島にあたる。沼島と伊島は正に南北に位置し、濱宮、蜂山、伊島、沼島は東西南北に並ぶ矩形の各頂点となり、紀伊水道を覆う広大な結界が現れる(図13参照)。 濱宮から野島(蜂山)の距離(35.34km)は、濱宮から鳴滝遺跡の距離(11.78km)に対して正に3倍になる。5世紀前半に建てられた鳴滝遺跡は、野島(蜂山)から濱宮の方向・距離を正確に測量し、その北側軸線上、距離にして3分の1の地点に意図的に計画されている。5世紀頃、野島は、ヤマト政権が太平洋沿岸を支配する拠点として既に開けていたことが分かる。 |
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言語 | ja | |||||||||||
書誌情報 |
ja : 羽衣国際大学人間生活学部研究紀要 en : Bulletin of Faculty of Human Life Studies,Hagoromo University of International Studies 巻 19, p. 63-76, 発行日 2024-03-12 |
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出版者 | ||||||||||||
出版者 | 羽衣国際大学人間生活学部研究紀要編集委員会 | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
ISSN | ||||||||||||
収録物識別子タイプ | ISSN | |||||||||||
収録物識別子 | 18808328 |